1 レイリー商の定義
1.1 二次形式としての表現
レイリー商は、線形空間上の二次形式に基づく有理型のスカラー量として捉えられる。実数(または複素数)ベクトル \(x\) に対し、二次形式 \(q(x)\) を、同種の大きさを表す内積量(あるいはノルム二乗)で割ることで定義される。二次形式が対象行列 \(A\) によって表されるとき、レイリー商は \(x\) がどの方向を代表するかに応じて \(A\) の「平均的な作用」を数値化した指標になる。
1.2 内積・ノルムによる定義
内積 \(\langle \cdot,\cdot\rangle\) をもつ内積空間で、(できれば)同じ空間に属するベクトル \(x\neq 0\) に対し、レイリー商を \[ \rho_A(x)=\frac{\langle x,Ax\rangle}{\langle x,x\rangle} \] の形で定義する。ここで \(A\) は線形作用素または行列である。分母は \(x\) の大きさ(ノルム二乗)であり、分子は \(A\) が \(x\) に与える二次的な応答を内積で測った量に対応する。したがって \(\rho_A(x)\) はスケール不変で、\(x\) を正であれ負であれ(複素では非零の複素定数であれ)拡大・縮小しても同じ値を保つ。
1.3 行列表示(実対称・エルミートの場合)
実対称行列またはエルミート行列 \(A\) を対象とするとき、上式は行列計算としてそのまま書ける。実対称なら \(\langle x,Ax\rangle=x^\top Ax\)、エルミートなら \(\langle x,Ax\rangle=x^*Ax\) である。これらの場合、\(\langle x,Ax\rangle\) は実数値になり、レイリー商も実数として定義される。特に固有値問題を扱う文脈では、レイリー商が \(A\) のスペクトル(固有値)に直結するため、固有値解析の基本演算として位置付く。
2 性質と基本的な意味
2.1 固有値との関係
レイリー商は固有値と密接に結びつく。直感的には、ベクトル \(x\) を「混ぜ合わせ」て作った方向に対する作用の平均として理解でき、固有ベクトルの方向に一致すると、その平均は対応する固有値そのものになる。
2.1.1 最小・最大性(変分原理)
実対称またはエルミート行列 \(A\) の固有値を小さい順に \(\lambda_1\le \cdots \le \lambda_n\) とする。レイリー商は変分原理により、極値として固有値を与える。 \[ \lambda_{\min}=\min_{x\neq 0}\rho_A(x),\qquad \lambda_{\max}=\max_{x\neq 0}\rho_A(x) \] が成立する(\(\lambda_{\min}\) と \(\lambda_{\max}\) はそれぞれ最小・最大固有値)。さらに、部分空間への制約を課す形で、例えば \(k\) 次の固有値が「ある次元の部分空間上での最大化/最小化」によって特徴づけられる。これは、未知のスペクトル情報をレイリー商の極値探索として代替する発想を支える理論的基盤となる。
2.1.2 レイリー商の停留点
レイリー商の停留点は固有ベクトルに対応する。具体的には、正規化条件 \(\langle x,x\rangle=1\) のもとで \(\rho_A(x)\) を変分すると、停留条件は \(Ax=\rho_A(x)x\) という固有方程式に一致する。つまり、局所的にレイリー商が変化しない方向は、行列の固有ベクトル方向である。これは、反復法の導出(ある点からの最急方向やニュートン型更新)に結びつき、数値計算上の意味付けを与える。
2.2 有界性(固有値区間への制限)
実対称・エルミートの場合、レイリー商は固有値の範囲に制限される。すなわち任意の \(x\neq 0\) に対して \[ \lambda_{\min}\le \rho_A(x)\le \lambda_{\max} \] が成り立つ。より強く、固有ベクトル基底で表したときレイリー商は固有値の重み付き平均になるため、値は最小・最大の間に収まる。これにより、レイリー商は推定値や目的関数として扱う際に、数値が発散する危険が抑えられるという実務上の利点も得られる。
2.3 線形変換・スケーリングの影響
| レイリー商はベクトルのスケーリングに対して不変である。\(x\) を非零の定数 \(c\) 倍しても分子・分母の両方が \( | c | ^2\) で比例し、比として消えるため \(\rho_A(cx)=\rho_A(x)\) が成立する。 |
|---|
また、行列側に基づく変換では、相似変換 \(A\mapsto S^{-1}AS\) を一般に考えると、レイリー商が同じままになるとは限らない。これは、内積(分母の定義)との整合が崩れるためである。一方、特定の変換(直交変換やユニタリ変換)のように内積を保つ場合、レイリー商の値は保存され、極値に関する固有値の幾何学的意味は変わらない。
3 数値計算への応用
3.1 固有値推定としての利用
レイリー商は、近似固有ベクトル \(x\) から対応する固有値を推定する手段になる。もし \(x\) が固有ベクトルに近ければ、\(\rho_A(x)\) は対応する固有値に近い値となる。したがって反復計算で得たベクトルを評価する「スカラー指標」として用いられ、収束判定にも利用できる。さらに、最小固有値や最大固有値を求める目的では、レイリー商の極小・極大探索が自然な枠組みになる。
3.2 パワー法・逆反復との関係
パワー法は、支配的な固有値に対応する固有ベクトルへ向かう過程として理解されるが、その進行の評価にレイリー商が使える。反復で更新されたベクトル \(x_k\) に対し \(\rho_A(x_k)\) を計算することで、支配固有値への接近度合いを観測できる。 逆反復やシフト付き逆反復では、ある固有値をターゲットにするために \((A-\mu I)^{-1}\) の作用を用いる。ここでのレイリー商の応用はやや間接になるものの、更新後のベクトルがどの固有値付近へ寄っているかを判断する指標として同様に働く。結果として、どの固有値を狙っているかと、到達状況のモニタリングが結びつく。
3.3 勾配法・最急降下との関連
レイリー商を目的関数とみなすと、固有値計算は最適化問題の形に再解釈できる。例えば最大固有値を狙う場合、制約 \(\langle x,x\rangle=1\) の下で \(\rho_A(x)\) を最大化する問題になる。停留条件が固有方程式に一致するため、最急降下や勾配法の更新則を設計すると、固有ベクトル方向へ漸近する運動として整理できる。 実装では、勾配に相当する量を算出し、更新後にノルム条件を満たすよう再正規化する操作が典型的である。これにより、レイリー商の持つ変分構造が、反復アルゴリズムの設計原理へと変換される。
4 一般化と関連概念
4.1 一般の(正定値な)重み付きレイリー商
レイリー商は、行列 \(A\) に加えて別の正定値行列(重み) \(B\) を導入することで拡張できる。典型例として \[ \rho_{A,B}(x)=\frac{x^*Ax}{x^*Bx} \] が定義される。ここで \(B\) は正定値とし、分母がゼロにならないようにする。すると \(\rho_{A,B}(x)\) は、一般化固有値問題 \(Ax=\lambda Bx\) に対応する極値原理を持つ。内積が \(B\) によって定義され直されると考えれば、標準形のレイリー商に対する性質が大筋で移植され、特に対称性・実性の扱いが整う。
4.2 楕円型問題・スペクトル理論との接続
連続体の設定では、レイリー商は偏微分方程式のスペクトル解析に自然に現れる。例えば楕円型作用素に対して、エネルギー汎関数や弱形式の二次量を用いると、近似解 \(u\) に対する比としてレイリー商が構成できる。そうすると、固有値は(境界条件のもとでの)エネルギー比の極値として特徴づけられる。有限要素法などの数値解析では、近似空間上でレイリー商の極値を探索することで固有対の近似が得られる。この流れは「無限次元の変分問題が、有限次元のレイリー商計算へ落ちてくる」構造として理解される。
4.3 変分法・固有値問題の定式化との対応
レイリー商を目的関数として据える発想は、変分法による固有値問題の定式化と対応している。具体的には、未知関数(あるいはベクトル)に対し正規化条件を課し、二次汎関数の比または差分を最小化・最大化することで、停留条件が固有値方程式(またはその一般化)に帰着する。 この対応により、固有値計算が「方程式の解くこと」だけでなく「関数の極値を求めること」としても扱えるようになる。結果として、解析学・数値計算・最適化理論が同一の数学的枠組みで接続され、レイリー商はその結節点を担う。