1 定義と基本性質
1.1 固有ベクトルの定義
固有ベクトルとは、線形変換(行列)\( A \)を作用させたときに、元のベクトルと平行(方向が同じまたは反対)になるゼロベクトルでないベクトル\( \mathbf{v} \)のことを指す。すなわち、あるスカラー\( \lambda \)に対して次の関係が成り立つ:
\[ A\mathbf{v} = \lambda\mathbf{v} \]
ここで\( \mathbf{v} \neq \mathbf{0} \)であり、この等式を満たす\( \mathbf{v} \)を固有ベクトルと呼ぶ。
1.2 固有値との関係
固有ベクトルに対応するスカラー\( \lambda \)を固有値と呼ぶ。固有値と固有ベクトルの組は常に対になって存在し、同じ固有値に対して複数の一次独立な固有ベクトルが存在することもある。固有値は行列の特性を決定づける重要な値であり、行列のトレースや行列式と密接な関係がある。
1.3 固有空間の概念
与えられた固有値\( \lambda \)に対するすべての固有ベクトルとゼロベクトルからなる集合を固有空間と呼ぶ。固有空間は部分空間をなし、その次元は幾何学的重複度と呼ばれる。固有空間の次元は、対応する固有値の代数的重複度以下である。
2 幾何学的解釈
2.1 スケーリングと方向の保存
| 固有ベクトルは線形変換によって方向が変わらないベクトルである。変換後のベクトルは元のベクトルのスカラー倍(\( \lambda \)倍)となり、\( \lambda > 0 \)の場合は同じ方向、\( \lambda < 0 \)の場合は逆向き、\( | \lambda | > 1 \)の場合は伸長、\( | \lambda | < 1 \)の場合は縮小を表す。 |
|---|
2.2 回転変換における固有ベクトル
2次元の回転行列の場合、回転角が\( 0^\circ \)や\( 180^\circ \)でない限り、実数の固有ベクトルは存在しない。これは回転によってすべてのベクトルの方向が変わるためである。ただし、複素数まで拡張すると、回転行列も固有ベクトルを持つことができる。
2.3 射影変換における固有ベクトル
射影行列の場合、射影の方向に平行なベクトルは変換後も変化せず(固有値1)、射影の方向に垂直なベクトルはゼロベクトルに写される(固有値0)。これらが固有ベクトルとなる。
3 計算方法
3.1 特性方程式の導出
固有値を求めるには、方程式\( A\mathbf{v} = \lambda\mathbf{v} \)を変形して\( (A - \lambda I)\mathbf{v} = \mathbf{0} \)を得る。この方程式が非自明な解を持つためには、行列\( (A - \lambda I) \)が特異でなければならない。すなわち:
\[ \det(A - \lambda I) = 0 \]
この式を行列\( A \)の特性方程式と呼ぶ。
3.2 固有値の求解
特性方程式は\( \lambda \)に関する\( n \)次代数方程式となり、その解が固有値である。固有値は実数とは限らず、複素数になることもある。また、重解(代数的重複度が2以上の固有値)が現れることもある。
3.3 固有ベクトルの計算手順
3.3.1 固有値に対する連立方程式の解法
求めた固有値\( \lambda \)を\( (A - \lambda I)\mathbf{v} = \mathbf{0} \)に代入し、連立一次方程式を解く。この方程式は特異であるため、解は一意に定まらず、スカラー倍の自由度を持つ。
3.3.2 自由度と基底の選択
連立方程式の解空間の次元は、固有値の幾何学的重複度に等しい。解空間の基底を選ぶことで、一次独立な固有ベクトルを求めることができる。縮退がある場合、複数の一次独立な固有ベクトルが得られる。
4 特殊な行列における固有ベクトル
4.1 対称行列
4.1.1 実対称行列の直交性
実対称行列(\( A = A^T \))の異なる固有値に対応する固有ベクトルは互いに直交する。さらに、実対称行列は常に実数の固有値を持ち、正規直交基底をなす固有ベクトル系を持つ。
4.1.2 正定値行列の固有ベクトル
正定値行列はすべての固有値が正である実対称行列であり、その固有ベクトルは直交基底を形成する。正定値性は二次形式の符号判定や最適化問題で重要な役割を果たす。
4.2 直交行列
直交行列(\( Q^TQ = I \))の固有値は絶対値が1の複素数であり、対応する固有ベクトルは互いに直交する。特に実直交行列の場合、固有値は\( \pm1 \)または絶対値1の複素共役対として現れる。
4.3 三角行列
三角行列(上三角または下三角行列)の固有値は対角成分そのものである。固有ベクトルの計算も比較的容易で、後退代入または前進代入により求めることができる。
5 応用例
5.1 線形変換の対角化
5.1.1 対角化可能条件
行列\( A \)が対角化可能であるための必要十分条件は、\( n \)個の一次独立な固有ベクトルが存在することである。これは各固有値の幾何学的重複度が代数的重複度と一致することと同値である。
5.1.2 対角化の手順と意義
固有ベクトルを列ベクトルとする行列\( P \)と、対応する固有値を対角成分とする対角行列\( D \)を用いて、\( A = PDP^{-1} \)と表せる。これにより行列のべき乗計算や関数計算が容易になり、微分方程式の解法などに応用される。
5.2 主成分分析
主成分分析(PCA)では、データの共分散行列の固有ベクトルが主成分方向を与える。最大固有値に対応する固有ベクトルが第一主成分方向であり、データの最も大きな分散を説明する。
5.3 力学系の安定性解析
線形力学系\( \mathbf{x}_{t+1} = A\mathbf{x}_t \)や\( d\mathbf{x}/dt = A\mathbf{x} \)の安定性は、行列\( A \)の固有値によって判定される。すべての固有値の絶対値(連続系では実部)が1未満(連続系では負)であれば、システムは安定である。
5.4 量子力学における観測量
量子力学では、物理量(観測量)はエルミート演算子で表され、その固有値が測定可能な値に対応する。固有ベクトルは対応する固有状態を表し、状態ベクトルの固有ベクトルへの展開係数から測定確率が計算される。
6 数値計算における注意点
6.1 縮退固有値と不安定性
縮退した固有値(重複固有値)を持つ行列では、数値計算において固有ベクトルが不安定になりやすい。微小な摂動により固有ベクトルの方向が大きく変化する可能性があり、注意が必要である。
6.2 反復法による近似計算
大規模な行列に対しては、すべての固有値・固有ベクトルを直接計算することは現実的でない。そのため、べき乗法やQR法などの反復法を用いて、必要な固有値のみを近似的に計算する手法が一般に用いられる。収束性や精度の評価が重要である。