1 定義と基本性質

1.1 定義

直交行列とは、実数を成分とする正方行列であり、その転置行列が自身の逆行列と等しい行列を指す。すなわち、\( n \)次正方行列 \( Q \) が

\[ Q^{\mathrm{T}} Q = Q Q^{\mathrm{T}} = I_n \]

を満たすとき、\( Q \) は直交行列と呼ばれる。ここで \( I_n \) は \( n \) 次単位行列である。この条件は、\( Q^{\mathrm{T}} = Q^{-1} \) と同値である。

1.2 直交性の条件

直交行列の定義は、その列ベクトル(または行ベクトル)が正規直交基底をなすことと等価である。具体には、\( Q = [ \boldsymbol{q}_1 \, \boldsymbol{q}_2 \, \cdots \, \boldsymbol{q}_n ] \) と表すとき、列ベクトル \( \boldsymbol{q}_i \) は互いに直交し、かつ各ベクトルの長さ(ユークリッドノルム)が1である:

\[ \boldsymbol{q}_i^{\mathrm{T}} \boldsymbol{q}_j = \delta_{ij} \quad (i,j = 1,\dots,n) \]

ここで \( \delta_{ij} \) はクロネッカーのデルタである。行ベクトルについても同様の関係が成り立つ。この性質により、直交行列はベクトルの内積と長さを保存する線形変換を与える。

2 主な性質

2.1 行列式の値

直交行列 \( Q \) の行列式は \( \det(Q) = \pm 1 \) である。これは \( Q^{\mathrm{T}} Q = I \) の両辺の行列式をとり、\( \det(Q^{\mathrm{T}}) = \det(Q) \) を用いれば直ちに得られる:\( (\det(Q))^2 = 1 \)。行列式が +1 の直交行列は回転(または固有回転)を、-1 のものは鏡映(または回転と鏡映の合成)を表す。

2.2 逆行列と転置の関係

直交行列の定義そのものにより、\( Q^{-1} = Q^{\mathrm{T}} \) が成り立つ。このことは、直交行列の逆行列が計算上極めて容易であることを意味し、数値線形代数において重要な利点となる。また、直交行列の転置も直交行列である(\( (Q^{\mathrm{T}})^{\mathrm{T}} = Q \) であるため、\( (Q^{\mathrm{T}})^{-1} = Q = (Q^{\mathrm{T}})^{\mathrm{T}} \) を満たす)。

2.3 固有値の性質

2.3.1 実固有値の絶対値

直交行列の固有値は、絶対値が1である。実際、\( Q \boldsymbol{v} = \lambda \boldsymbol{v} \)(\( \boldsymbol{v} \neq \boldsymbol{0} \))とすると、両辺のノルムをとれば \( \|Q \boldsymbol{v}\| =\lambda\|\boldsymbol{v}\| \) となるが、直交性によるノルム保存性から \( \|Q \boldsymbol{v}\| = \|\boldsymbol{v}\| \) なので、\(\lambda= 1 \) を得る。実固有値は +1 または -1 に限られる。

2.3.2 複素固有値とユニタリ行列との関連

直交行列は実行列であるが、複素数体上ではユニタリ行列の特別な場合と見なせる。直交行列の固有値は一般に複素数となりうり、それらは単位円周上に存在する(絶対値1)。複素固有値は必ず共役対として現れる(実行列の特性多項式の係数が実数であるため)。直交行列の複素拡張がユニタリ行列であり、ユニタリ行列は \( U^{\dagger}U = I \)(†は共役転置)を満たす。直交行列は \( U^{\mathrm{T}} = U^{-1} \) かつ成分が実数であるという条件を付加したものに相当する。

3 代表的な直交行列

3.1 回転行列

3.1.1 2次元回転行列

2次元における原点を中心とする角度 \( \theta \) の回転を表す行列は

\[ R(\theta) = \begin{pmatrix} \cos\theta & -\sin\theta \\ \sin\theta & \cos\theta \end{pmatrix} \]

であり、これは直交行列で行列式 +1 を持つ。その転置は逆回転 \( R(-\theta) \) に等しい。

3.1.2 3次元回転行列(ロドリゲスの公式)

3次元空間における、単位ベクトル \( \boldsymbol{u} \) を軸とする角度 \( \theta \) の回転は、ロドリゲスの公式により与えられる:

\[ R = I + (\sin\theta) K + (1-\cos\theta) K^2 \]

ここで \( K \) は \( \boldsymbol{u} \) の外積を表現する歪対称行列(\( K\boldsymbol{v} = \boldsymbol{u} \times \boldsymbol{v} \))である。この \( R \) は直交行列(行列式 +1)であり、任意の3次元回転を表現できる。

3.2 反射行列(ハウスホルダー変換)

単位ベクトル \( \boldsymbol{v} \) で張られる超平面に関する鏡映(反射)変換は、ハウスホルダー行列

\[ H = I - 2\boldsymbol{v}\boldsymbol{v}^{\mathrm{T}} \]

で与えられる。\( H \) は対称かつ直交行列(\( H^{\mathrm{T}} = H = H^{-1} \))であり、行列式は \( -1 \) である。数値線形代数において、行列のQR分解や三重対角化などに広く用いられる。

3.3 置換行列

置換行列は、各行と各列にちょうど一つずつ1を持ち、他の成分はすべて0である正方行列である。これは単位行列の行(または列)を置換したものに相当し、ベクトルの成分の順序を入れ替える変換を表す。置換行列は直交行列であり、その逆行列は転置(すなわち逆の置換)に等しい。行列式は置換の符号に応じて ±1 となる。

4 応用と関連概念

4.1 直交変換と等長写像

直交行列によって定義される線形変換 \( \boldsymbol{x} \mapsto Q\boldsymbol{x} \) は直交変換と呼ばれ、ユークリッド空間における等長写像(内積と距離を保存する変換)のうち原点を固定するもの全体をなす。直交変換は回転(行列式 +1)と鏡映(行列式 -1)に分解でき、これらは一般線形群 \( \mathrm{GL}(n,\mathbb{R}) \) の部分群である直交群 \( \mathrm{O}(n) \) を構成する。さらに行列式が +1 のものは特殊直交群 \( \mathrm{SO}(n) \) をなす。これらの群は幾何学、物理学(特に剛体運動の記述)において基本的である。

4.2 QR分解

任意の実行列 \( A \) は、直交行列 \( Q \) と上三角行列 \( R \) の積 \( A = QR \) に分解できる。これをQR分解と呼ぶ。この分解は線形方程式の解法、最小二乗問題、固有値計算などに利用される。直交行列を用いることで数値的安定性が向上し、特にハウスホルダー変換やギブンス回転を用いたアルゴリズムがよく知られる。

4.3 特異値分解における直交行列の役割

特異値分解(SVD)は、任意の実行列 \( A \) を \( A = U\Sigma V^{\mathrm{T}} \) と分解するもので、ここで \( U \) と \( V \) は直交行列、\( \Sigma \) は非負の特異値を対角成分に持つ対角行列である。直交行列 \( U \) の列は左特異ベクトル、\( V \) の列は右特異ベクトルと呼ばれ、それぞれ行空間と列空間の正規直交基底を与える。SVDデータ圧縮主成分分析、擬似逆行列の計算など多岐にわたる応用を持つ。直交性が保証されることにより、変換後の座標系で解析が容易になる。