1 定義と基本性質

線形写像は、あるベクトル空間から別のベクトル空間へ定まる写像で、加法とスカラー倍を整合的に保つものをいう。抽象代数学線形代数の基礎に位置し、空間の要素をどのように変えても、線形構造そのものが失われない点に特徴がある。実数ベクトル空間だけでなく、複素数体上の空間や、一般の体上のベクトル空間でも同様に定義される。

1.1 ベクトル空間と写像

ベクトル空間は、ベクトルの加法とスカラー倍が定義された集合である。写像は、ある集合の各要素を別の集合の要素へ対応させる規則を指す。線形写像は、この対応が単なる要素の置き換えではなく、空間の加法構造とスカラー倍の構造を保持する点で特別である。

1.2 線形性の条件

線形性は、二つの基本条件によって定義される。すなわち、加法に関する保存と、スカラー倍に関する保存である。これらが同時に成り立つとき、その写像は線形であると判定される。

1.2.1 加法の保存

任意のベクトル \(u, v\) に対して、写像 \(T\) が \[ T(u+v)=T(u)+T(v) \] を満たすとき、加法を保つという。これは、二つのベクトルを先に足してから写す操作と、それぞれを写してから足す操作が一致することを意味する。

1.2.2 スカラー倍の保存

任意のスカラー \(a\) とベクトル \(v\) に対して、 \[ T(av)=aT(v) \] が成り立つなら、スカラー倍を保つという。ベクトルを拡大・縮小してから写しても、写してから同じ倍率をかけても結果が変わらないことを表す。

1.3 具体例と非例

原点を通る平面回転座標の拡大縮小、斜め方向へのせん断は線形写像の例である。一方、平行移動は一般に原点を固定せず、加法やスカラー倍の条件を満たさないため線形ではない。また、絶対値をとる操作や、定数を加える写像も通常は線形写像に含まれない。

2 表現と計算

線形写像は、適切な基底を選ぶことで行列として表現できる。この表現により、写像の計算は具体的かつ体系的になり、合成や逆変換の議論も行列演算へ置き換えられる。応用上は、抽象的な写像の性質を数値的に扱うための中心的手段となる。

2.1 行列による表現

有限次元ベクトル空間では、線形写像は行列で記述できる。行列は、基底ベクトルが写った先を座標として並べたものであり、写像の作用を成分レベルで明示する。

2.1.1 基底の選択

基底は、空間の各ベクトルを一意に座標表示するための標準的な生成系である。どの基底を選ぶかによって、同じ線形写像でも表現行列は変化する。したがって、行列そのものは基底に依存するが、写像としての本質は変わらない。

2.1.2 表現行列の構成

各基底ベクトルを写像に通し、その結果を像の空間で選んだ基底で座標表示する。得られた座標を列に並べると、表現行列が得られる。入力ベクトルの座標にこの行列を掛けることで、出力の座標が計算できる。

2.2 座標変換との関係

線形写像の理解には、座標系の取り方が重要である。基底を変えると座標表示も変わるため、同じ変換でも異なる行列で表されることがある。これにより、写像そのものと座標表現の違いを区別する必要が生じる。

2.2.1 基底変換

基底変換は、ある基底で表した座標を別の基底の座標へ移し替える操作である。線形写像の性質は変わらないが、見かけ上の行列表示は変化する。適切な基底を選ぶことで、計算が簡潔になる場合が多い。

2.2.2 相似変換

同じ線形写像を異なる基底で表すと、二つの行列は相似で結ばれる。これは、基底変換行列を用いたはさみ込みの形で記述される。相似な行列は固有値行列式など、多くの本質的な量を共有する。

2.3 線形写像の合成

二つの線形写像を順に適用して得られる写像もまた線形である。合成は、関数の組み合わせとして自然な操作であり、行列表示では行列積に対応する。順序が結果に影響するため、一般には交換法則は成り立たない。

3 重要な概念

線形写像を理解するうえで、核、像、階数、零化度は基本的な指標となる。これらは写像がどの程度情報を失い、どの範囲に値を広げるかを示す。特に有限次元の場合、階数と零化度の関係は構造を明快に記述する。

3.1 核

核は、写像によって零ベクトルに送られる元の集合である。写像がどの方向をつぶしてしまうかを表し、可逆性の判定にも関係する。

3.1.1 定義

線形写像 \(T\) の核は \[ \ker T=\{v \mid T(v)=0\} \] で定義される。ここで \(0\) は値域側の零ベクトルである。核は常に部分空間になる。

3.1.2 性質

核が零ベクトルのみからなるとき、写像は単射である。核に非零ベクトルが含まれる場合、異なる入力が同じ出力に写る。核は、情報の喪失を測る指標として機能する。

3.2 像

像は、写像によって実際に到達可能な出力全体である。値域のうち、少なくとも一つの元の像として現れる要素の集合を指す。

3.2.1 定義

線形写像 \(T\) の像は \[ \operatorname{Im} T=\{T(v)\mid v \in V\} \] で表される。どのベクトルからも得られない要素は、像には含まれない。像もまた部分空間を成す。

3.2.2 性質

像の次元は、その写像がどれだけ広い範囲を覆うかを示す。像が目標空間全体に一致するとき、写像は全射である。像の構造は、方程式の解の存在や写像の到達範囲に直結する。

3.3 階数と零化度

階数と零化度は、有限次元線形写像の構造を要約する二つの量である。前者は像の大きさ、後者は核の大きさを測る。両者の和は定義域の次元に等しい。

3.3.1 階数の定義

階数は、像の次元として定義される。行列に対しては、独立な列ベクトルの本数、あるいは独立な行ベクトルの本数と一致する。線形写像の到達範囲の広さを示す基本量である。

3.3.2 零化度の定義

零化度は、核の次元である。どれだけ多くの独立な方向がゼロへ潰されるかを表す。零化度が大きいほど、写像は多くの情報を失う傾向にある。

3.3.3 階数零化度定理

有限次元ベクトル空間において、線形写像 \(T:V\to W\) について \[ \dim V=\operatorname{rank} T+\operatorname{nullity} T \] が成り立つ。これは階数零化度定理と呼ばれ、定義域の次元が、像に対応する部分と核に対応する部分へ分解されることを示す。

4 特殊な線形写像

線形写像の中には、特に基本的で、他の多くの例の基準となるものがある。恒等写像や零写像は最も単純であり、射影や回転は幾何学的な理解に役立つ。逆写像をもつ場合には、情報が失われない変換として重要視される。

4.1 恒等写像

恒等写像は、各ベクトルをそれ自身に写す写像である。何も変えない操作であり、合成における単位元の役割を果たす。すべてのベクトルを固定するため、最も基本的な線形写像の一つである。

4.2 零写像

零写像は、すべてのベクトルを零ベクトルに送る。加法とスカラー倍を保つが、情報は完全に失われる。核は定義域全体となり、像は零ベクトルのみからなる。

4.3 射影

射影は、ある部分空間へ向かって成分を落とし込む写像である。たとえば、平面上のベクトルを特定の直線へ写す操作が代表例である。一般に、何度適用しても同じ結果になる冪等性をもつ。

4.4 対称変換と回転

対称変換は、ある直線や平面に関して鏡映を行う写像で、向きが反転することがある。回転は、原点を中心に図形を回す変換であり、距離や角度を保つ。どちらも幾何学的には直感的で、線形写像の具体像を与える。

4.5 逆写像をもつ線形写像

逆写像をもつ線形写像は、可逆であるという。出力から元の入力を一意に復元できるため、情報の損失がない。有限次元では、単射と全射が一致し、表現行列は正則行列になる。