1 概念
違法性阻却とは、外形上は犯罪の構成要件に当たる行為であっても、一定の事情により法的な違法評価が否定されることをいう。刑法では、正当防衛や緊急避難のように、行為が社会的に許容される場合を説明する基本概念として用いられる。
この考え方は、単に行為の外形だけでは結論を出さず、その行為を取り巻く事情や法益の関係を考慮する点に特徴がある。したがって、形式的には他人の権利を害していても、法秩序全体からみて違法とはいえない場合がありうる。
1.1 定義
違法性阻却は、構成要件に該当する行為について、違法性を打ち消す事由が存在するため、処罰の前提が失われる状態を指す。ここでいう「阻却」は、違法性が最初から生じないというより、特定の根拠により違法と評価しない、という意味で理解されることが多い。
典型例としては、防衛、避難、同意、法令に基づく行為などが挙げられる。いずれも、行為者の個人的事情だけでなく、客観的にみて正当化されるかが問題となる。
1.2 構成要件該当性との関係
構成要件該当性は、行為が犯罪類型の外形に当てはまるかどうかを問う段階であり、違法性阻却はその後に違法といえるかを判断する段階である。両者は理論上区別され、前者が認められても、直ちに処罰されるとは限らない。
この区別により、刑法の判断は段階的に整理される。まず行為が法文上の類型に入るかを見、そのうえで正当化事由の有無を検討する構造が一般的である。
1.3 責任阻却との区別
責任阻却は、違法な行為ではあっても、行為者に非難を加えることができない事情がある場合を指す。これに対し、違法性阻却は行為自体の違法評価を否定する点で異なる。
両者の区別は、刑法体系の整理にとって重要である。例えば、正当防衛は通常、違法性を消す事由とされる一方、心神耗弱や強い強迫のような事情は責任の問題として扱われることが多い。
2 歴史と理論
違法性阻却の発想は、近代刑法が成立する過程で、単なる結果の有無ではなく、法秩序に照らした正当性を判断する必要から発展した。とくに、国家による処罰権を限定するための理論として重要性を持つ。
理論面では、どのような場合に行為を許容するか、またその根拠をどこに求めるかが中心問題となる。法益保護の観点、法益衡量の考え方、社会的相当性の理論などが代表的である。
2.1 違法性の意義
違法性は、行為が法秩序に反するかどうかを示す概念である。刑法では、単に形式的な禁止に触れるだけでなく、保護法益に対する侵害が許容限度を超えるかが問われる。
このため、違法性は、犯罪成立の中核をなす概念の一つとされる。行為が社会的に有害であっても、法が特に正当化を認める場面では、違法性判断が修正される。
2.2 法益保護と法益衡量
法益保護とは、刑法が生命、身体、財産などの重要な利益を守るという考え方である。他方、法益衡量は、衝突する複数の利益を比較し、どちらを優先すべきかを判断する枠組みである。
違法性阻却は、この衡量の発想と密接に結びつく。防衛や避難の場面では、一方の法益を犠牲にして他方を守ることが、全体としてより大きな利益にかなうかが問題となる。
2.3 社会的相当性の考え方
社会的相当性とは、行為が社会生活上通常許容される範囲にある場合には、違法性を認める必要がないとする見方である。日常的な接触や軽微な侵害の中には、一般の社会生活に不可避なものも含まれる。
この理論は、明文の正当化事由がなくても、法秩序が暗黙に許容していると理解できる場面を説明するのに役立つ。ただし、無限定に広げると処罰範囲を不当に狭めるおそれがあるため、慎重な適用が求められる。
3 違法性阻却事由
違法性阻却事由は、刑法上、行為の正当化を基礎づける事情をいう。代表的なものとして、正当防衛、緊急避難、被害者の同意、法令行為、正当業務行為がある。
これらはそれぞれ根拠や要件が異なるが、共通して、行為が単なる侵害ではなく、法的に許容される事情のもとに行われたかが問われる。
3.1 正当防衛
正当防衛は、急迫不正の侵害に対し、自他の法益を守るために反撃する行為である。個人が違法な攻撃を受けた際、国家機関の介入を待てない場合に、例外的に防衛行為を認める制度である。
この事由は、被害者に受動的な犠牲を強いるのではなく、違法な侵害に対して自ら法益を守ることを認める点に特徴がある。
3.1.1 要件
一般に、正当防衛には、不正な侵害の存在、急迫性、防衛の意思、相当な防衛行為が必要とされる。侵害が現実に進行中または切迫していることが重要であり、単なる報復は含まれない。
また、防衛手段は侵害を排除するために必要かつ相当でなければならない。過度に強い手段や、侵害の程度に比して著しく不均衡な反撃は、正当化されにくい。
3.1.2 過剰防衛
過剰防衛とは、防衛の範囲を超えて必要以上の行為をした場合をいう。たとえば、軽微な攻撃に対して著しく危険な手段を用いると、正当防衛としては認められないことがある。
もっとも、実務上は、侵害の態様や緊迫した状況を踏まえて、過度の超過がどの程度かが慎重に判断される。心理的な動揺が強い場面では、違法評価が一定程度緩和される場合もある。
3.2 緊急避難
緊急避難は、自己または他人の法益に対する危難を避けるため、やむを得ず他の法益を侵害する行為をいう。自然災害、事故、突発的危険など、侵害者が存在しない場合にも成立しうる。
この制度は、損害を完全に避けられない局面で、より大きな損失を防ぐことを許す点に意義がある。侵害の相手方が無関係な第三者である場合には、とくに慎重な判断が必要となる。
3.2.1 要件
緊急避難では、現在の危難があり、他に適当な手段がなく、避難行為が避難しようとする法益に照らして相当であることが求められる。危難の切迫性と、回避手段の最終性が重要な要素である。
また、守ろうとする利益が、侵害される利益よりも優越しているか、少なくとも著しく不均衡でないかが問題となる。生命や身体の保護は、財産上の利益より強く重視されることが多い。
3.2.2 避難行為の限界
避難行為には限界がある。危難を避ける名目で、必要以上に第三者へ大きな損害を与えると、正当化の基礎が失われる。
また、危難が自ら招いたものである場合や、より穏当な方法がある場合には、緊急避難の成立が制限されることがある。避難の必要性と手段の相当性の両方が、厳しく検討される。
3.3 被害者の同意
被害者の同意は、権利主体が自らの法益侵害を受け入れる意思表示をした場合に、その行為の違法性を否定する考え方である。医療行為やスポーツなどで問題になりやすい。
ただし、すべての法益が自由に処分できるわけではない。生命など、性質上または強い公的利益の観点から同意があっても正当化しにくい利益がある。
3.3.1 同意の有効性
同意が有効であるためには、対象となる行為内容を理解したうえで、自由な意思に基づいて与えられている必要がある。錯誤、強迫、詐欺により形成された同意は、効力が問題となる。
また、同意者がその法益について処分権限を持つことも必要である。未成年者や判断能力に制約のある者については、同意の有効性が個別に検討される。
3.3.2 同意が及ぶ範囲
同意は、同意された範囲内でのみ効力を持つ。行為の方法、時間、場所、目的が逸脱すると、当初の承諾に基づく正当化は及ばない。
このため、医療や研究、娯楽のような場面では、同意の内容を具体的に確定することが重要である。一般的な了解だけでは足りず、実際の侵害態様との対応関係が問われる。
3.4 法令行為
法令行為は、法律に基づいて認められた行為であり、これに該当する場合は違法性が阻却される。公権力の行使や、法律上義務づけられた行為が典型である。
この類型は、私人の自由な選択ではなく、法秩序が積極的に行為を予定している点に特徴がある。したがって、単なる事実上の便宜ではなく、法的根拠が必要となる。
3.4.1 法律に基づく行為
法律に基づく行為には、法令が直接認めた権限行使や義務履行が含まれる。たとえば、一定の条件のもとでの逮捕、差押え、立入行為などが問題になる。
これらは、形式的には人の権利を制約しうるが、法が予定する手続と限度内で行われる限り、違法とは評価されない。
3.4.2 命令・許可との関係
上位法規や適法な命令に従った行為、または行政上の許可を受けた行為が、どこまで違法性を阻却するかは重要な論点である。命令があっても、それ自体が違法であれば、当然には正当化されない。
許可についても、許容の範囲を超えれば違法性が残る。形式的な許可の存在だけでなく、許可の趣旨や条件に適合しているかが重視される。
3.5 正当業務行為
正当業務行為は、業務の性質上、一定の侵害が社会的に容認される場合をいう。医療、スポーツ、報道、警備などで問題となることがある。
この事由では、業務が正当に営まれているか、またその具体的な行為が社会通念に照らして相当かが判断される。
3.5.1 業務の適法性
業務自体が法令に反していれば、正当業務行為としての保護は弱い。合法的に組織され、社会的に認知された活動であることが前提となる。
また、業務の目的が正当であっても、個々の手段が過度であれば違法性阻却は認められにくい。業務の名を借りた単なる侵害は許されない。
3.5.2 社会通念上の相当性
社会通念上の相当性は、業務上必要な範囲で、一般社会の感覚に照らして許容できるかをみる基準である。スポーツの身体接触や、医療上の侵襲的処置は、この観点から評価される。
相当性の判断では、目的、手段、程度、相手方の予見可能性などが考慮される。業務の実施に付随する侵害でも、必要限度を超える場合は正当化されない。
4 違法性阻却の判断基準
違法性阻却の判断は、単一の基準で機械的に行うのではなく、行為状況を総合的に検討して行われる。客観的要件と主観的要件、さらに相当性の評価が重要である。
実務では、事後的に冷静な視点から見るだけでなく、行為時の切迫した状況や判断の困難さも踏まえて検討される。
4.1 客観的要件
客観的要件とは、外形的に認識できる事実関係をいう。侵害や危難の存在、必要性、相当性、同意の有無などがこれに当たる。
これらが備わっていなければ、原則として違法性阻却は認められない。行為者の主観だけでなく、第三者から見て正当化できる事実が必要となる。
4.2 主観的要件
主観的要件は、行為者が正当化事由に対応する認識や意思を持っていたかを問う。正当防衛であれば防衛意思、緊急避難であれば危難回避の意思が問題になる。
もっとも、主観的要件の扱いは理論上争いがある。客観的事情があれば足りるとする見解もあり、具体的な制度ごとに位置づけが異なる。
4.3 相当性の判断
相当性の判断は、行為が許容限度を超えていないかをみる中心基準である。侵害の程度、手段の危険性、目的の重要性、他の回避方法の有無などが総合考慮される。
この評価は抽象的であるため、個別事案ごとの事情が強く反映される。結論は単純な比較ではなく、法秩序全体との整合性を踏まえて導かれる。
4.4 事後的評価
事後的評価とは、行為後に結果を知ったうえで当時の判断を見直すことをいう。刑法上は、結果だけに引きずられず、行為時の状況に即して判断することが重要である。
もっとも、結果の重大性が全く無関係になるわけではない。生じた損害の大きさは、相当性や必要性の評価に影響を与える。
5 関連問題
違法性阻却は、故意、過失、未遂、共犯などの各論点とも密接に関係する。正当化事由の有無は、犯罪成立の他の要素の理解にも影響を及ぼす。
これらの関連問題では、違法性が消えるのか、あるいは別の段階で処理されるのかが、理論と実務の両面で検討される。
5.1 故意犯との関係
故意犯では、行為者が事実を認識しつつ実行したかが問題となる。違法性阻却事由がある場合でも、構成要件的事実の認識は必要であり、正当化事情の認識の有無が争点になることがある。
正当化事由を誤認した場合には、故意の成否や違法性の認識に関する議論が生じる。ここでは、事実の錯誤と法律上の評価の違いが重要である。
5.2 過失犯との関係
過失犯では、注意義務違反があったかどうかが中心となる。違法性阻却事由がある場面では、結果回避義務の内容がその事情に応じて変化する。
たとえば、緊急の危難回避のために通常とは異なる行動をとった場合、その行為が合理的範囲内であれば過失を否定しうる。もっとも、安易な正当化は許されない。
5.3 未遂との関係
未遂は、結果が発生しなかったが実行に着手した場合をいう。違法性阻却事由が認められると、そもそも違法な実行行為として評価されないことがある。
ただし、正当化事情の成立が途中で失われる場合や、行為の一部だけが許容される場合には、未遂の成否が複雑になる。行為の段階ごとの評価が必要である。
5.4 共犯との関係
共犯では、共同正犯、教唆、幇助などの形で他人の行為に関与した者の責任が問題となる。正当化された行為には、原則として違法な共同意思を基礎づけにくい。
しかし、誰か一人に違法性阻却が認められても、他の関与者まで当然に保護されるとは限らない。各人の立場、認識、役割に応じて個別に判断される。
6 各国法との比較
違法性阻却の発想は多くの法体系にみられるが、その名称や体系的位置は一様ではない。大陸法系では理論的に整理されることが多く、英米法では正当化事由として実務的に扱われる傾向がある。
比較法的検討は、刑法理論の普遍性と制度差を理解するうえで有用である。
6.1 日本法における位置づけ
日本法では、違法性阻却は刑法総論の重要な構成概念として扱われる。明文規定のある正当防衛や緊急避難に加え、学説上は被害者の同意や正当業務行為も主要な論点である。
判例・実務では、条文の文言だけでなく、社会生活上の許容性や法益保護の必要性を重視して判断が行われる。
6.2 大陸法系の理解
大陸法系では、行為の違法性を独立の要素として位置づけ、その阻却事由を体系的に整理する考え方が強い。ドイツ刑法学の影響を受けた理論では、正当化と責任を分けて論じるのが一般的である。
そのため、違法性阻却は、単なる例外論ではなく、犯罪体系の中核をなす理論として発展してきた。
6.3 英米法との比較
英米法では、正当防衛、必要性、同意などが、個別の抗弁や弁解として扱われることが多い。大陸法のように、違法性と責任を厳密に段階区分するより、実務上の防御事由として整理される傾向がある。
もっとも、結果として許容される行為を定めるという点では共通している。用語法や理論構成は異なるが、正当化の必要性は広く認められている。
7 学説上の争点
違法性阻却をめぐっては、違法性の本質や、阻却事由の整理方法などに学説上の対立がある。これらは単なる理論問題ではなく、個別事件の結論にも影響する。
また、裁判実務では、抽象的理論よりも具体的事案への適用が重視されるため、学説の整理と実務の運用には一定の距離がある。
7.1 違法性の本質
違法性を、法規範への反対として捉えるか、法益侵害の程度として捉えるかで、正当化の説明方法が変わる。規範違反説と法益侵害説の対立は、その代表である。
前者は法秩序への反抗性を重視し、後者は被害の実質を重視する。どちらを採るかにより、同意や業務行為の位置づけも変わりうる。
7.2 阻却事由の体系化
阻却事由を、明文のものと慣習的・解釈上のものに分けるか、あるいは正当化と免責をさらに細分化するかは、学説上の整理の問題である。体系化の方法は一つではない。
実務上は、分類の整合性よりも、どの事情がどの段階で考慮されるかが重要となる。学説は、処理の透明性を高めるための枠組みとして機能している。
7.3 裁判実務での扱い
裁判実務では、条文上の要件の充足に加え、具体的状況に即した衡量が重視される。形式的に要件が一部満たされても、相当性を欠けば違法性阻却は否定されることがある。
一方で、現場の切迫性や判断の困難さが考慮され、厳格な後知恵による評価は抑制される傾向もある。実務は、原則と柔軟性の均衡の上に成り立っている。