1 状態空間モデルの基本

1.1 定義構成要素

1.1.1 状態と観測の概念

状態空間モデルでは、時刻ごとに「状態」と「観測」を区別して扱う。状態は系の内部で変化する量であり、観測はその外部から得られる測定値に相当する。重要なのは、観測が状態の直接測定ではない場合でも、状態の時間発展と観測生成の仕組みを結び付けることで推定予測が可能になる点である。観測がノイズを含む、あるいは観測機構が状態を非線形に変換するなどの事情は、状態空間モデルの構造として内包される。

1.1.2 状態遷移と観測写像

状態遷移は、時刻tからt+1(または連続時間ならtからt+dt)へ状態がどのように変わるかを表す写像である。多くの設定では、遷移は状態に加えて外乱(プロセスノイズ)の影響を受ける。観測写像は、状態から観測値がどのように生成されるかを記述する役割を担い、こちらも測定ノイズ(観測ノイズ)を含めて表現される。これにより、「状態の推移」と「観測の生成」が同じ確率的な枠組みで同時に扱える。

1.1.3 初期状態の扱い

推定を始めるには初期時刻の状態に関する情報が必要になる。初期状態は確率分布として与えられることが多く、これには既知の仕様に基づく事前情報や、初期キャリブレーションの結果が反映される。初期分布不確実性は以後の推定誤差にも影響し、モデルの妥当性アルゴリズム安定性を評価するうえで重要な要素となる。

1.2 数学的表現

1.2.1 離散時間モデルの標準形

離散時間では、状態ベクトルをx_k、観測ベクトルをy_kで表す。状態遷移は一般に x_k = f(x_{k-1}) + w_k の形で記述される(線形ならfは行列による一次写像)。観測生成は y_k = h(x_k) + v_k として表される。ここでw_kは状態遷移に混入するノイズ、v_kは観測に混入するノイズである。標準的な構成では、両者は互いに独立、かつ時間的にも独立(少なくとも一定の条件下で扱える)と仮定されることが多い。

1.2.2 連続時間モデルの標準形

連続時間では、状態の時間発展を確率微分方程式(SDE)として表す。典型的には dx_t = a(x_t,t)dt + B(x_t,t)dW_t のように書ける。aはドリフト項、dW_tは確率過程(通常ウィーナー過程)に対応し、Bは拡散係数を与える。観測はしばしば dy_t = c(x_t,t)dt + D(x_t,t)dV_t の形で記述され、観測ノイズに対応する確率過程を伴う。連続時間のモデルは理論的に洗練される一方、実装上は離散化数値積分サンプリング)して用いることが多い。

1.2.3 ノイズ項の位置づけ

ノイズ項は、モデルが現実の挙動を完全に再現できないことの定量的な表現である。プロセスノイズは未モデル化のダイナミクスや外乱、観測ノイズはセンサ誤差量子化、環境条件の変動などを反映する。ノイズの分布形(ガウス性の有無)や相関構造(時間相関の有無)は、推定器の最適性や計算量、破綻しやすさに大きく関与するため、仮定は慎重に選ぶ必要がある。

1.3 用語と直観

1.3.1 潜在状態の意味

潜在状態とは観測できないが、観測の背後でシステムを特徴づける変数の総称である。たとえば移動体の位置・速度、産業プロセスの内部温度、発話に関わる隠れた音響状態などが該当する。潜在という語は「推定によって明らかにする対象」であることを意味し、観測と同一視されない点が核心になる。

1.3.2 系(システム)としての見方

状態空間モデルは、入力・内部状態・出力という見方を提供する。内部状態が時間的に更新され、それが観測として現れるという因果の流れを明示できるため、制御工学や信号処理親和性が高い。さらに、観測が欠測する、サンプリング間隔が不均一である、モデルが時間変化する、といった現場要因も、枠組みとして整理しやすい。

1.3.3 生成モデルとしての見方

確率的生成モデルとして捉えると、状態の軌跡がまず生成され、その上で観測が観測モデルに従って生成されたと解釈できる。推定は逆向きの問題、すなわち観測された系列から状態の分布を推論することに対応する。この視点は、尤度、事後分布、事前情報といった概念を自然に導入し、アルゴリズム設計の土台になる。

2 推定・推論のタスク

2.1 状態推定(フィルタリング)

2.1.1 逐次更新の考え方

フィルタリングは、時刻kまでに得られた観測を用いて、その時点の状態を推定する作業である。逐次更新の基本方針は「次の時刻の事後」を「直前の事前」と「新しい観測」によって更新することにある。結果として、各時刻で状態の事後分布(あるいはその近似)が計算され、リアルタイム処理に適した枠組みとなる。

2.1.1.1 一時刻ごとの事後分布

事後分布は、条件付き確率として「現在時刻の状態が、これまでの観測を踏まえてどの程度もっともらしいか」を表す。線形・ガウス条件のもとでは事後分布の形がガウス分布を保つため、平均と共分散だけで表現できる。非線形や非ガウスの場合は事後分布が複雑になるため、近似(線形化、サンプリング、変分近似など)が重要な位置を占める。

2.1.2 代表的なアルゴリズム

線形・ガウスではカルマンフィルタが代表的であり、計算効率と理論的最適性の双方を兼ねる。非線形では拡張カルマンフィルタが、確率分布を局所線形化して扱う。さらに分布が強く非ガウス、あるいはモデルの不確実性が大きいときには粒子フィルタが用いられることが多い。アルゴリズム選択は、モデル構造と計算資源、必要な精度、そしてリアルタイム性に依存する。

2.2 平滑化

2.2.1 過去の情報を活用する理由

平滑化は、観測系列全体(典型的にはある区間の前後のデータ)を用いて過去の状態をより精度良く推定する。フィルタリングが「未来の情報なし」で確率分布を更新するのに対し、平滑化は後から判明する観測が過去の推定にも反映される点で有利になる。推定誤差が時間方向に改善されることが多く、軌跡解析や品質評価に役立つ。

2.2.2 過去推定の更新方式

平滑化では、単純な再計算ではなく「前向きに得た情報」と「後ろ向きの補正」を組み合わせる方法が一般的である。実装上は、各時刻でフィルタリング結果を保持し、後方からの条件付き分布(あるいはその近似)を合成して更新する。計算量や数値安定性の観点から、どの情報をどの順序で利用するかが設計上の論点となる。

2.3 予測と不確実性評価

2.3.1 前方予測の枠組み

予測は、現在までに得た推定(通常は事後分布)を起点として未来の状態や観測の分布を計算することである。状態遷移を通じて未来へ分布を伝播させ、観測写像を通じて観測値の見込みを得る。多段先までの予測は、誤差が時間とともに増えやすいことを踏まえて、必要な範囲で計算する運用が行われる。

2.3.2 信頼区間・分散の扱い

不確実性評価では、平均だけでなく分散や区間推定が重要になる。線形・ガウスでは共分散が予測誤差の指標となり、分散から信頼区間を組み立てられる。非線形や非ガウスでは、分布の歪みを考慮した区間(分位点に基づく区間など)を用いることが多い。どのように区間を定義するかは、意思決定の要求(保守性や解釈可能性)に影響する。

3 線形・ガウスの場合

3.1 カルマンフィルタ

3.1.1 予測ステップ

カルマンフィルタの予測ステップでは、前時刻の事後分布を用いて次時刻の事前分布を計算する。線形状態遷移とガウスノイズの仮定のもとでは、状態の平均は遷移行列により更新され、共分散は時間方向の伝播とプロセスノイズの寄与によって増減する。これにより、新しい観測が来る前の見込みが得られる。

3.1.2 更新(観測取り込み)ステップ

更新ステップでは、観測が予測した観測とどれほど整合するかを用いて事後分布を補正する。観測残差(観測値と予測観測の差)を計算し、残差が平均からどれほど外れているかを誤差共分散で重み付けする。結果として、次時刻の状態推定の不確実性は観測情報の質に応じて縮小する。

3.1.3 誤差共分散の更新

共分散の更新は、予測共分散と観測の精度、観測行列(状態から観測へ写像する行列)によって決まる。理論上、更新後の誤差共分散はガウス条件のもとで最小二乗の意味で整合的になる。数値計算では共分散が対称性を保ち、正定性(あるいは半正定性)が壊れないようにすることが実務上の重要点となる。

3.2 カルマン平滑化

3.2.1 後向き情報の導入

カルマン平滑化では、フィルタリングで得た前向きの推定に加えて、後ろ向きに流れてくる情報を取り込む。これにより、過去時点の状態推定が後続観測によって補正され、軌跡の推定精度が向上する。典型的には、後方からの条件付き補正を組み合わせることで、各時刻の平滑化分布の平均と共分散を計算する。

3.2.2 実装上の注意点

平滑化はフィルタリングよりも保持する量が増え、計算手順も長くなる。そのため、保存すべき行列(ゲインや共分散など)を適切に管理する必要がある。また、後向き計算での数値誤差が共分散の性質に影響することがあるため、対称化や安定化の工夫を行うことがある。オンライン性が不要な場面では有効だが、リアルタイム要件が強い場合には設計の再検討が必要になる。

3.3 数値安定性と実装

3.3.1 行列計算の工夫

カルマンフィルタは行列演算を多用するため、計算の順序や分解手法が性能や安定性に影響する。例えば、共分散の直接的な逆行列計算を避けたり、分解(コレスキー分解など)を利用したりすることで誤差伝播を抑える場合がある。さらに次元の大きい問題では、疎構造や構造を活かした演算の最適化が行われる。

3.3.2 共分散の対称性・正定性

共分散は理論上、対称性と非負性(正定性または半正定性)を満たすべき量である。浮動小数点演算では微小な非対称や負の固有値が発生することがあり、そのまま扱うと更新が破綻する恐れがある。対称化、数値的に安定な更新式の採用、必要に応じた正定化などが実装上の実務課題として挙げられる。

4 非線形・非ガウスへの拡張

4.1 拡張カルマンフィルタ

4.1.1 テイラー展開による近似

拡張カルマンフィルタは、非線形の状態遷移や観測写像を局所的に線形化することでカルマンフィルタの枠組みを流用する。具体的には、状態や観測の関数を現在の推定値周りでテイラー展開し、一階の項で近似する。非線形が強いと近似誤差が増えるため、線形化の有効性が推定精度に直結する。

4.1.2 ヤコビアンの役割

線形化の係数としてヤコビアン(ヤコビ行列)が用いられる。ヤコビアンは、状態の微小変化が観測や次状態に与える影響の感度を表し、共分散の伝播や観測更新に直接入り込む。モデルの微分可能性や、数値的に安定なヤコビアン計算の方法は、実装の品質を左右する。

4.2 不確実性をサンプリングする手法

4.2.1 粒子フィルタの概観

粒子フィルタは、状態の事後分布を多数のサンプル(粒子)で表現する考え方である。各粒子は仮説となる状態値を持ち、観測にどれだけ整合するかに応じて重みが更新される。分布が複雑でも、サンプルの集合として近似できる点が利点である。ただし粒子数が少ないと代表性が不足しやすい。

4.2.2 リサンプリングの必要性

重みが観測に対して極端に偏ると、少数の粒子だけが支配的になり、残りがほぼ無視される状態(縮退)が起こる。リサンプリングは、重みの偏りを緩和し、粒子の多様性を回復するために行う操作である。タイミングは有効粒子数などの指標で判断することが多く、頻度を上げすぎると分散の性質が変わるため調整が必要になる。

4.3 モデル化の工夫

4.3.1 尤度設計と識別性

非線形・非ガウスの領域では、観測モデルの定義が推定の成否を決めやすい。尤度(観測が状態に対してどれほど起こりやすいか)の形が適切でないと、事後分布が正しく更新されない。さらに、状態が観測から十分に区別できるかという識別性(同じ観測が異なる状態を許すかどうか)も重要である。識別性が弱いと、不確実性が減らずに推定が安定しない。

4.3.2 仮定の見直し(誤差分布など)

モデルの有効性は、ノイズ分布や独立性仮定の妥当さに依存する。実データでは外れ値が混ざる、分布が重い裾を持つ、分散が時間とともに変化するなどの特徴が現れやすい。そこで、ガウス仮定から外れた誤差分布(例えばロバストな分布)や、時間変化する分散、相関を持つノイズ構造などへ仮定を拡張する。これにより推定の破綻を抑え、予測性能の安定化が期待できる。