1 定義と歴史
1.1 定義
正規分布(ガウス分布)は、確率密度関数が f(x) = (1/√(2πσ²)) exp(−(x−μ)²/(2σ²)) で与えられる連続確率分布である。ここで μ は実数、σ² > 0 はパラメータであり、それぞれ平均と分散を表す。この分布は釣鐘型の対称な曲線を描き、分布の形状は μ を中心として左右対称となる。
1.2 歴史的背景
正規分布の起源は18世紀の誤差研究に遡る。天文学や測地学における測定誤差の分布を記述するために、複数の数学者によって独立に発見された。1733年にはド・モアブルが二項分布の近似としてその形を導出しており、その後ラプラスやガウスによって理論が整備された。
1.2.1 ガウスと誤差論
1809年、カール・フリードリヒ・ガウスは著書『天体運動論』において、最小二乗法の基礎として正規分布を導入した。ガウスは、測定誤差が従う分布として、誤差の確率がその大きさの二乗に比例して減少するという仮定から正規分布を導き、これを誤差論の重要な道具とした。この業績により、正規分布はガウス分布とも呼ばれる。
2 性質
2.1 確率密度関数
正規分布の確率密度関数は、f(x) = 1/(σ√(2π)) exp(−(x−μ)²/(2σ²)) である。この関数は x = μ で最大値 1/(σ√(2π)) をとり、変曲点は x = μ ± σ にある。σ が小さいほど曲線は尖り、σ が大きいほど平坦になる。全実数上で定義され、積分値は1となる。
2.2 累積分布関数
累積分布関数は F(x) = (1/√(2πσ²)) ∫_{-∞}^{x} exp(−(t−μ)²/(2σ²)) dt で定義される。この積分は初等関数で表せず、誤差関数 erf を用いて F(x) = (1/2)[1 + erf((x−μ)/(σ√2))] と表現される。シグモイド型の単調増加関数であり、F(μ) = 0.5 が成り立つ。
2.3 モーメントとキュムラント
正規分布の全てのモーメントは有限であり、平均 μ を中心とする中心モーメントは σ² の関数として与えられる。キュムラントは第1キュムラントが μ、第2キュムラントが σ² であり、第3次以上のキュムラントはすべて0となる。この性質は正規分布を特徴づける。
2.3.1 平均・分散
正規分布の平均(期待値)はパラメータ μ に等しく、E[X] = μ である。分散は Var[X] = σ² であり、標準偏差は σ となる。平均は分布の中心位置を、分散は広がり具合を決定する。
2.3.2 歪度・尖度
正規分布は対称分布であるため、歪度は 0 である。尖度(過剰尖度)も 0 であり、正規分布は尖度の基準として用いられる。歪度や尖度が0から乖离する場合、分布は正規分布から逸脱していると判断できる。
2.4 再生性
互いに独立な確率変数 X₁, X₂, …, Xn がそれぞれ正規分布 N(μᵢ, σᵢ²) に従うとき、それらの線形結合 a₁X₁ + a₂X₂ + … + anXn も正規分布に従う。特に、独立同一な正規分布に従う変数の和は、平均が各平均の和、分散が各分散の和となる正規分布となる。この性質を再生性と呼ぶ。
3 標準正規分布
3.1 標準化
一般の正規分布 N(μ, σ²) に従う確率変数 X に対して、Z = (X − μ)/σ と変換すると、Z は平均 0、分散 1 の標準正規分布 N(0,1) に従う。この変換を標準化(または正規化)と呼ぶ。標準化により、任意の正規分布に関する確率計算を標準正規分布に帰着できる。
3.2 正規分布表
標準正規分布の累積分布関数 Φ(z) = P(Z ≤ z) の値は数表として整備されており、これを正規分布表(z表)と呼ぶ。正規分布表には、z の値に対する Φ(z) または上側確率 1 − Φ(z) が記載されている。現在では統計ソフトウェアや電卓で容易に計算できるが、教育や伝統的な統計実務では依然として利用される。
4 関連する分布との関係
4.1 カイ二乗分布
標準正規分布に従う独立な k 個の確率変数 Z₁, …, Zk の二乗和 ∑Zi² は、自由度 k のカイ二乗分布 χ²(k) に従う。この関係は、分散の推定や適合度検定などの統計手法の基礎となる。特に、正規分布からの標本分散と関連が深い。
4.2 t分布
標準正規分布に従う変数 Z と、独立なカイ二乗分布 χ²(k) に従う変数 Y を用いて、T = Z / √(Y/k) で定義される分布が自由度 k の t分布である。t分布は正規分布の平均に関する推論、特に小標本における t検定で用いられる。自由度が大きくなると標準正規分布に近づく。
4.3 F分布
二つの独立なカイ二乗分布 χ²(d₁), χ²(d₂) に従う変数 U, V を用いて、F = (U/d₁) / (V/d₂) で定義される分布が自由度 (d₁, d₂) の F分布である。F分布は分散分析や回帰分析における分散比の検定に用いられ、正規分布に従う母集団からの標本分散の比の分布として導出される。
5 統計的推論における役割
5.1 中心極限定理
中心極限定理は、任意の分布(平均 μ、分散 σ² が有限)に従う独立同一な確率変数列 X₁, …, Xn の標本平均 X̄n = (1/n)∑Xi を標準化したもの (X̄n − μ)/(σ/√n) が、n → ∞ のとき標準正規分布 N(0,1) に分布収束することを主張する。この定理により、正規分布は標本平均の漸近分布として極めて重要な位置を占め、大標本における統計的推論の理論的基盤となる。
5.2 区間推定と仮説検定
正規分布は、母平均の区間推定や仮説検定において中心的な役割を果たす。母分散が既知の場合、標本平均は正規分布に従うため、z検定やz信頼区間が構成される。母分散が未知の場合には、t分布を用いたt検定やt信頼区間が用いられる。また、正規分布の分散に関する推論ではカイ二乗分布が利用される。これらの手法は、正規分布の仮定の下で最適な統計的性質を持つ。
6 応用
6.1 自然科学
正規分布は自然科学の多くの分野で観測誤差や自然変動のモデルとして用いられる。物理学では測定誤差、天文学では天体観測の誤差、生物学では個体の形態測定値(身長、体重など)、化学では分析値のばらつきなどが典型的な例である。また、熱力学におけるマクスウェル・ボルツマン分布や量子力学における波動関数の解釈にも関連する。
6.2 社会科学
社会科学では、知能指数(IQ)、学力テストの得点、所得分布(対数正規分布に近い場合もある)、世論調査における標本誤差など、正規分布が広く仮定される。心理学や教育学では、標準化テストの点数が正規分布に従うように設計されることが多い。経済学では、株価収益率の分析に正規分布が用いられるが、実際の分布は裾の重いことが知られている。
6.3 工学
工学では、製造工程における製品の品質特性(寸法、強度、重量など)のばらつきが正規分布で近似されることが多い。品質管理における管理図(X̄-R管理図など)は正規分布を基礎として設計されている。また、通信工学ではノイズのモデル、制御工学ではシステムの不確かさの表現、信頼性工学では故障時間の解析(対数正規分布を含む)に利用される。信号処理におけるフィルタ設計や画像処理の平滑化にも正規分布(ガウシアン)が応用される。